フリーランスフォトグラファーになった経緯4

出版社からハワイへ—30歳を前にした決断

私は地元の出版社でアルバイトとして働きながら、撮影スキルを学ぶ日々を送っていました。現場で経験を積めるのは貴重でしたが、働いて3年が経つ頃、収入と仕事量が直結しない立場が続く中で、「このままでいいのか?」という思いがたびたび頭をよぎるようになりました。

30歳を目前に焦りが募りました。先輩カメラマンの下でいつまでも働いていて良いのだろうか? もっと経験を積み、自立する力を養いたい。と強く思うようになったのです。

ちょうどその頃、運命的なタイミングで転機が訪れました。元同僚の子がハワイでウェディングフォトグラファーをしていると聞いたのです。しかも、その子のビザが切れるタイミングで、代わりのカメラマンを探しているとのこと。

直感的に「これだ!」と思いました。

20代の頃、私はサーフィンが趣味でした。休みの日はサーフィンに行き、おじさんたちとの時間が私のかけがえのないリフレッシュの時間でした。海の上で無になるだけで、すべてのことが受け入れられるような気がしました。通っているサーフショップのおじいちゃんは、かつてハワイで生活をし偶然にもカメラマンをしていました。彼の話はいつも私の心を躍らせてくれて「そんな生き方があるのか!」と衝撃を受け、同時に強い憧れを抱くようになりました。さらに、出版社の先輩カメラマンと同じ写真学科の卒業生だったという共通点もあり、ますます自由な働き方に惹かれました。

学生時代から「海外で働くこと」が夢でした。でも、ワーキングホリデーや学生の立場ではなく、「社会人として海外で仕事をする」ことにこだわりがありました。プロとして、自分の力で仕事をつかみ、生活を築く——それこそが私の求める挑戦でした。

こうして私はハワイ行きを決意し、J1ビザ(俗にいう奴隷ビザですw)を取得。一人のカメラマンとしてウェディングフォトグラファーとしての一歩を踏み出すことになりました。海外で働くこと。カメラマンとして独り立ちすること。2つの夢を一気に叶えた瞬間でした。

夢のようなハワイ生活、そして現実

ハワイで見る景色はまさに夢のようでした。エメラルドグリーンの海、ヤシの木が揺れるビーチ、サンセット。休みの日や早朝には、徒歩でワイキキビーチでサーフィン。好きな時に好きな風景を撮影する。思い描いていた景色、ライフスタイルが目の前にありました。

でも、夢のような日々が続くわけではありません。毎日撮影と編集に追われる忙しい日々。ハワイに到着してまもなく、即戦力として撮影に入りました。常夏のビーチでのロケフォトは体力勝負で、日ごとに疲労がたまっていきました。また収入面も苦しい現実でした。家賃は高く、収入の半分が消えていく。お小遣いはお客さんからもらえるチップが頼りでした。ハワイの理想と現実はよく言われますが、実際に現地で生活している人たちも、生計を立てるためにダブルワーカーが少なくありませんでした。この景色のためなら。このライフスタイルのためなら。と犠牲を払っている方が多くいたのです。異国の地、また夢のハワイで仕事をするというのは、甘くない現実を思い知りました。文化の違い、言葉の壁、慣れない生活、私のこれまでの価値観、思考癖……すべてを手放す試練がたくさん待っていました。今振り返ると、ハワイにいた一年弱は、手放しの期間、デトックスの期間。自分の汚い気持ちや腹黒い思考、弱い部分すべてが否応なしにさらけ出された時間でした。

ハワイでの経験は、私にとってかけがえのないもの。あのとき直感を信じて飛び込んだからこそ、今の私がいるのだと、心から思います。続く。

タイトルとURLをコピーしました